こんばんは
其實這篇原本是在夏季甲子園的賽期打的,
結果因為小編雜務繁忙,一時之間就忘了把文章放上來
趁著最近又有大谷選手的相關新聞,
小編就趕快再追加一些內容跟大家一起分享囉
大谷翔平究竟是何許人也?相信有些人一定會覺得很納悶
由於他在甲子園的地方預賽裡投出了160km的速球,
剛好與安達充的作品「四葉遊戲」的劇情雷同。
故事的主人公樹多村光在高中最後一年的夏季甲子園地方預賽裡,
飆出了160km的速球壓制了敵隊的王牌打者,
並帶領球隊獲勝,贏得進軍甲子園的資格。
因此大谷翔平也被漫迷稱作「真人版樹多村光」XD
小編就先為大家簡單介紹一下大谷翔平的個人資料吧:
大谷翔平(おおたに しょうへい)
出生日期:1994年07月05日
身高體重:193公分 86公斤
投打習慣:右投左打
守備位置:投手、外野手
最快球速:160 km/h
擅長球路:滑球、變速球、指叉球、曲球
出生地點:日本岩手縣水澤市
最高學歷:日本花卷東高等學校
雖然大谷選手所在的花卷東高中,
最後於今年岩手縣地區賽的冠軍戰中敗給了盛岡附中,
無緣晉級全國大賽,但由於他在夏季甲子園的地方預賽中,
六局上兩出局二三壘有人時投出了時速160km的速球將打者三振,
同時也刷新日本高中棒球史上最快球速紀錄,
因此獲得了球界人士以及日美職棒球探的高度關注。
以下就是這場比賽的相關報導:
花巻東・大谷投手、160キロ 高校生最速 岩手大会
2012年7月19日20時3分qooニュース
ついに出た、160キロ! 今秋ドラフトの目玉、花巻東・大谷翔平投手(3年)が、岩手大会準決勝の一関学院戦で今夏初先発。6回2死二、三塁のピンチで見逃し三振を奪った直球が、岩手県営野球場のスピードガンで160キロを表示した。01年夏の甲子園大会で日南学園・寺原隼人(現オリックス)が出した158キロを抜く“高校生最速”に、日米12球団のスカウトは舌を巻いた。7回を3安打1失点の13奪三振で9-1の7回コールド勝ち。25日の盛岡大付と対戦する決勝に進出した。
まさに怪物だった。「ピンチの方が、気持ちも調子も上がる」の言葉どおり、大谷のボルテージは最高潮に達していた。6回2死二、三塁。初球で157キロをたたきだし、154キロ、157キロ、159キロ、157キロ。そして3ボール2ストライクからの6球目に、その瞬間は訪れた。「自信のあるストレートでいく」と投じた内角低めは、球場のスピードガンで、高校生最速の160キロを計測した。電光掲示板に映し出された「160km/h」にスタンドは大きくどよめき、拍手が湧き起こった。
「低めに球威のあるボールがいった」と右手を握り締め、雄たけびを上げる大谷とは対照的に、手が出なかった一関学院の5番鈴木匡は「地面につくぐらいの球でボールと思ったけど、浮き上がってきた」とぼうぜん。13三振のうち、これが唯一の見逃し三振だった。全99球中40球が150キロを超えた。最初から最後まで、球場の視線をくぎ付けにした。
「甲子園 163キロ」。花巻東のウエートトレーニング場には、こう記された紙が貼ってある。佐々木洋監督(36)は「160キロは現実味を帯びてるから、お前は目標を163キロにしよう。160キロなら158キロ、163キロなら160キロになるから」と、入学時点で143キロを投げていた大谷に告げた。元気よく「はい!」と答えた大谷だが、何と佐々木監督から言われる前に、自ら紙に書いて貼っていたという。佐々木監督は「目標は人を引っ張ってくる。大したもんです」と飽くなき向上心に感心する。大谷は「監督さんと頑張ってきた数字。無理と思わず、頑張ってきた」と笑顔で大粒の汗をぬぐった。
1年春からレギュラー。昨夏の岩手大会に続いてエースナンバーを背負う。13日の3回戦(対水沢工)で自己最速を2キロ更新する153キロをマークした。それを7キロ更新する驚異の数字とともに、7回3安打1失点と上々の出来で夏初先発を飾った。打っては、3回に初回の失点を帳消しにする同点の適時二塁打を放つなど3打数2安打。3季連続の甲子園出場に王手をかけたが、佐々木監督と入学時に交わした約束はまだある。「甲子園で日本一という、もう1つの約束を果たしたい」。圧巻の大台到達も、大谷にとっては通過点にすぎない。【今井恵太】
資料來源:qooニュース
=大家一起來記這些和棒球比賽有關的單字吧=
ドラフト:選秀
スピードガン:測速槍
スカウト:球探
コールド勝ち:因達成勝利條件而提前結束比賽
ストライク:好球
ストレート:直球
王手:原本是指象棋類遊戲中「將軍(check)」的盤勢;
引用在運動比賽中,則是形容只差一步或一勝就
可獲得最終勝利的局面。
ウエートトレーニング場:重量訓練場
レギュラー:正式選手;先發選手
エースナンバー:王牌背號
大多是一些有名的王牌選手所使用過的背號,
之後演變成只有王牌選手才能使用的背號。
而報導中所提到的「全国高等学校野球選手権大会」
就是俗稱的夏季甲子園喔
「甲子園」是日本阪神甲子園棒球場的簡稱,目前是
日本職棒中央聯盟阪神虎隊的主場。1924年甲子園球
場完工並且作為高中棒球錦標賽的場地,而在球場啟
用的那一年,剛好是歲次甲子年,因此就把這個球場
的名稱命名為甲子園棒球場。
「選抜高校野球大会」(春季甲子園)從1925年開始
在阪神甲子園棒球場舉行;而從1915年開始舉行的「
全国高校野球選手権大会」(夏季甲子園),從1924
年起移至阪神甲子園棒球場比賽。能夠登上甲子園棒
球場,可說是日本所有高中棒球男兒的夢想。
- 甲子園棒球大賽日文全名:
- 「選抜高等学校野球大会」(春季甲子園)
- 「全国高等学校野球選手権大会」(夏季甲子園)
- 主辦單位:
- 春季甲子園:每日新聞社,日本高校野球連盟。
- 夏季甲子園:朝日新聞社,日本高校野球連盟。
- 比賽場地:
- 春季甲子園:1924年(首屆)在愛知縣名古屋市山本球場,1925年遷移至甲子園球場。
- 夏季甲子園:1915年~1916年在大阪府豊中市豊中球場,1917年~1923年在兵庫縣西宮市鳴尾球場,1924年遷移至甲子園球場。
雖然大谷選手最終並沒有完成稱霸夏季甲子園的夢想,
難免有點令人感到遺憾。不過他與另一位夏季甲子園的冠軍
-桐蔭的王牌投手-藤浪晉太郎,都有被選為國手參加今年
的IBAF世界青棒錦標賽(同時也是最後一屆...),與各國的
青棒好手同場較勁。
大谷選手除了是一名速球強投,他的打擊火力也相當令
人驚艷,在世界青棒賽中還擔任日本代表隊的第四棒‧指定
打擊,表現優異,無論在投、打方面都具有王牌的資質!
也因此日本職棒與美國大聯盟的球隊都非常積極的想延
攬這位明日之星加入,而大谷選手本人的意願則是「一半一
半(意指日本或美國職棒都可以考慮)」。在前幾天原本還
傳出因家庭因素考量,大谷選手可能要放棄挑戰美國大聯盟
,並且領表簽下日本職棒志願申請書;而今天下午卻有最新
的意外發展,大谷選手舉行記者會表明了他想挑戰美國大聯
盟的夢想,也讓球迷們期待有朝一日能看到他在世界各國菁
英齊聚的美國大聯盟發光發熱!
(按:由於日本職棒的北海道火腿鬥士隊非常積極的延攬大谷選手,甚至
提出了罕見的「二刀流」的投打兼備培訓計畫,終於成功打動了大谷選手
,讓他決定先留在日本磨練自己,將來再伺機挑戰美國大聯盟!)
按此圖可前往繁田塾FB
按此圖可得知繁田塾最新開課
按此圖可前往繁田塾官網
留言列表