不曉得大家有沒有聽過「いざ鎌倉」這個成句呢?
其實這是出自一部名為「缽木(はちのき)」的謠曲(能劇的戲碼)中喔!

那麼,這段故事是怎麼發生的呢?

話說日本的鐮倉幕府(*1)時代,在上野國(現在的群馬縣)的佐野,
住著一名叫做佐野源左衛門常世的貧窮武士。

某個下雪的夜晚,有一位旅行的僧人前來,請求說:「請讓我借宿一晚吧」。
原本常世拒絕了他,可是卻因為妻子說想讓僧人借宿而改變了心意,
於是他前去追趕僧人並把他帶了回來。

之後常世不但招待僧人吃粟米飯,在爐火快燒盡時,
還把心愛的梅樹、松樹、櫻花樹的盆栽當作柴火放進爐裡燒,
竭盡所能地款待他。

望著爐火,常世告訴了僧人,他因為領地被人奪走,家道中落,
但是一旦到了必須要「趕往鎌倉」之時,他已經做好帶頭衝往鎌倉,
捨命作戰的覺悟了。

翌日,僧人再次踏上旅途。

之後,因為從鎌倉幕府送來了召集的通知,
常世便動身前往了鎌倉。沒想到在那裡等著他的,
卻是之前他在雪夜所留宿的旅行僧,

原來這位僧人正是鐮倉幕府的前任執權(*2)-北條時賴(*3)。
時賴為了獎勵常世並未說謊,不但幫常世取回了他原本的領地,
還把加賀國的梅田、上野國的松井田、越中國的櫻井三個地方的土地賜給他,
做為他燒掉了自己心愛的盆栽的回禮。

於是後世便用「趕往鎌倉」這個詞代表

「鎌倉幕府發生了大事,現在正是非馬上飛奔過去不可的時候。」

到了現代,也用來表示「發生大事了」的意思。

各位同學如果想更加了解這篇故事的內容與涵義,

繁田老師將於下週三(9/30) 18:30~20:00時事讀解養成班講解這篇文章,
歡迎各位同學來上課喔!

*1 鎌倉幕府(かまくらばくふ,1192年—1333年):是日本幕府政權的開始,其建立者是源賴朝,從建立至滅亡共經歷149年。

*2 執権(しっけん):日本鎌倉幕府官職名。原為政所的輔佐官職,後來轉為征夷大將軍的政務佐理。

*3 北条時頼(ほうじょう ときより):日本鎌倉幕府第五代執權。北條時氏之子。滅了政敵三浦氏一族,確立了得宗獨裁體制。以實施仁政出名,留下為了視察民情而巡迴諸國的傳說,「いざ鎌倉」這篇故事就是建立在這樣的背景下。




「いざ鎌倉」って、どういう意味なの

「鉢木」という謡曲(能の曲)で、「さあ、鎌倉幕府に大事件が起こった、すぐにかけつけなければならない時だ」の意味で、
「いざ鎌倉」のことばが使われました。今でも、「さあ、一大事が起こった」の意味で使われています。

●「鉢木」の物語

上野国(群馬県)の佐野に、
佐野源左衛門常世という貧しい武士が住んでいました。
ある雪の夜、旅の僧がやってきて、一晩とめてください、
とたのみましたが、常世はことわりました。
しかし、妻が、とめてあげようというので、思い直し、
僧を追いかけて行って、連れもどりました。
そして、アワのご飯をすすめたり、まきがなくなると、
大切な鉢植えの梅・松・桜の木をいろりにくべたりして、
できる限りのもてなしをしました。いろりにあたりながら、
常世は僧に、一族に領地を取られたため、今は落ちぶれているが、
「いざ鎌倉」というときには、鎌倉に一番にかけつけて、
命をすてて戦うかくごだ、と話しました。

翌朝、僧はふたたび旅に出ました。
その後、鎌倉幕府から、集まれという連らくが来たので、
常世は、鎌倉にかけつけました。そこには、雪の夜にとめた旅の僧がいて、
前の執権の北条時頼だとわかりました。
時頼は、常世のことばがうそではなかったことのほうびとして、
常世の領地を取りもどしてやり、
また、大切な木をくべたもてなしのお礼だといって、
梅田・松井田・桜井の3か所の土地をあたえました。


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